2014年4月22日火曜日

野口英世ミュージアム

日本では千円札でおなじみの野口英世博士は、1928年にガーナのアクラで亡くなりました。

アクラには野口英世が使っていた研究室が今でも博物館として残されています。




かわいい看板がお出迎え。




理科室のような研究室と、当時は教授の控え室として使われていた小さな部屋が展示スペースとなっています。




今まで本とお札でしか知らなかった野口英世が、ぐっと近づいて現実味を帯びたような不思議な感覚。

86年も前にはるばる日本からガーナまで来たんですね。
研究室の壁に貼ってあった絵によると船で着いた模様。どこから船で来たのでしょうか?





ネットで検索していたら「アフリカから日本まで飛行機を使わずに帰ったら何時間かかるか実験してみた話」というのに遭遇しました。(野口英世とは全然関係ない、すごすぎるチャレンジャーのお話はこちらから) ←超笑えます。

野口英世博士がどうやってガーナまで旅したのかは不明ですが、きっと困難の多い旅だったに違いありません。

展示スペースにあった、野口英世のお母さんが「早く帰ってきてください」とつたないひらがなだけで切々とうったえている手紙が印象的でした。


野口英世がアメリカにいたときに届いたお母さんからの手紙


お手紙の詳細と野口英世とお母さんの関係について知りたい方はこちら

博物館の近くに日本庭園があります。驚くほど小さい。




日本庭園・・・と呼ぶにはちょっとさびしい・・・



立派な胸像があります


この日本庭園はオープンスペースですが、ミュージアムの方ははじめ鍵がかかっていました。

うろうろしていると、どこからかおじさんが出てきて、ひとり5セディ(≒250円)で中に入れるよと言ってきました。(アヤシイ)

お金を払って鍵を開けてもらい、中を見せてもらいました。
いつもこの形式のようです。観光客らしき人が来ると、どこからかこのおじさんが見ていて、声をかけてくれるそうです。

おじさんが体調悪かったり、ご飯食べに行ってたりしたら、中に入れないのかもしれません。
ま、ガーナですから。

後から日本人会会長から聞いた話によると、この時とられた5セディはあのおじさんのポケットに入ってしまったようです。

「10年も前から、入場料はちゃんと記録して管理費にまわすように言っているのだけれど、一向にできるようにならず、管理費は別に払っているのだ」とぼやいていました。

がんばれ、ガーナ。









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